公開日 2020年09月23日
昭和の名横綱双葉山の化粧まわしが、「なかはく(中津市歴史博物館)」に所蔵されています。中津東高校同窓会「箭山如水会」から寄託されました。69連勝の記録を持つ大横綱は中津と深い縁があります。
前身の中津商業高校の閉校記念誌によると、12歳の頃から中津市の親戚である銭湯、灘吉塩湯へ奉公に来ていたそうです。体格が良い好青年で、当時の中津警察署長の紹介で大相撲立浪部屋へ15歳で入門しました。その後旧制中津商業学校の相撲部OB達が「中津双葉山会」を立ち上げ応援を続け、そのお礼として昭和12年春場所全勝優勝時の化粧まわしが贈られたものです。
70連勝を阻まれた時の言葉が「イマダモッケイタリエズ」です。モッケイとは「木彫りの鶏」、中国古代の哲学書『荘子』が出典です。闘鶏を訓練する名人と王との問答で「鍛えられた闘鶏は、むやみに強がらず、他の鶏が現れてもにらみつけることも何の反応もせず、その徳で敵の方が逃げていく、まるで木彫りの鶏のようだ」といった話からきています。双葉山は、部屋に「木鶏」の扁額をかけていたそうで、真の勝負師の心構えとして追い求めていたのでしょう。
このことは、中津市出身の道教研究の第一人者、故福永光司先生も「木鶏の哲学~名横綱双葉山に寄せて~」と題して記しています。その言を借りれば「技を意識することのない全人格的な力量―精神のはたらき、無心の境地」と表現しています。
双葉山は現役時代、立ち合いは待ったをしたことがない、相手が立てばいつでも立つ、仕切りも取り口も清く美しいものだったと語られます。手練手管の「技」ではなく、「相撲道」を求め実践した稀有の力士です。こんな力士を土俵上で見たいものですね。
化粧まわしと写真を前に、しばし大横綱の心のうちに想像をめぐらしました。
(市報なかつ令和2年10月1日号掲載)