公開日 2021年05月11日
人生に別れはつきものです。去る者の別れの言葉は積もった思いが凝縮され、残る者にとって示唆に富み大きな励みとなります。
明治3年11月に、福澤諭吉先生は留守居町の自宅で「中津留別の書」を残しました。中津を引き払うにあたっての、ふるさと中津の人びとに対するメッセージです。この書で、自主自由、個人や国の独立、洋学の重要さとともに、男女平等や夫婦・親子関係についても述べています。一夫一婦であるべきこと、女性の地位向上には男性の意識改革が大切であることなど、現代に通じる課題を明治の初めに認識し提起しています。また、親子の関係も、子は天から授かった賜物であるから、父母が力を合わせて大切に育て教育し、一人前にしなければならない。子供を教える方法は、学問手習いはもちろん、「習うより慣れろ」の教えで、父母の正しい行いが大事だと強調します。そして結びに「人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。」と中津への思いを吐露しています。
ついでながら、東京で大活躍の諭吉は、年老いた母親を東京に呼び寄せようとしたようです。推測ですが、母はむしろ諭吉が東京を引き払って中津に戻ることを望んだのかもしれません。結局は東京に移り住みますが、現代にも当てはまる話ですね。
この度、「中津留別の書」が慶應義塾大学により、世界12か国語に翻訳され一冊の本となりました。英、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルトガル、フランス、イタリア、ロシア、アラビア、ベトナム、中国、韓国の各言語です。青年期を中津で過ごした日本近代化の立役者の写真とふるさと「Nakatsu」の文字が表紙となった書を見ると、今でも先生から呼びかけられている気がします。中津を決して忘れなかった福澤先生の「中津留別の書」。立派な返事が書けるよう頑張ります。
(市報なかつ令和3年5月15日号掲載)