公開日 2021年10月27日
来年のNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」、鎌倉幕府の話です。現在「なかはく」こと中津市歴史博物館で「西向くサムライ 鎌倉幕府と豊前国」展を開催中、今月7日までです。鎌倉幕府は、源頼朝、北条一族による日本で初めての武家政権です。関東から見れば西の国の豊前と、どんな関係があったのでしょうか。
源頼朝は、1180年、平家討伐のため挙兵し、支配を全国に広げました。鎌倉幕府と言えば、平家没官領や義経残党地などを恩賞として与えられ、「いざ鎌倉」と馳せ参じる御家人が有名です。その御家人の一部は東の国鎌倉から鎮西(九州)へ出向き統治しました。その代表格が豊前国に移った宇都宮信房で、ここに拠点を置き、戦国末期に宇都宮鎮房が黒田官兵衛に滅ぼされるまで一大武士団として当地に長く根を張った名門です。
信房は京都東山の自領地を「泉涌寺」に寄進。ここには快慶作「木造宝冠阿弥陀如来坐像」(悲田院所蔵)があり、開祖の俊芿律師坐像とともに、今回展示の目玉で、前に立つと引き込まれそうです。私は学生の頃、この名刹近くに住んだことがあり、市電の停車場名は「泉涌寺道」、中津に縁ありと知り懐かしく感じました。
話は変わりますが、浄瑠璃に合わせ三人で一体の人形を操る北原人形芝居も、その起源は鎌倉時代に遡ります。執権を退いた北条時頼は旅の途中、中津で病に倒れ、その快気祝いに村民たちが行った人形芝居が始まりと言われています。このように、当地中津の歴史・文化は「西向くサムライ」とも縁深かったようです。
現在は、ビジネス、文化、情報などあらゆるものが東京方面への一極集中、人の流れも残念ながら「東向き」です。コロナ禍を機として、首都圏から九州へ、仕事、移住、観光の流れを文字どおり「西向き」にさせたいものです。
- 「蒙古襲来絵詞模本」九州大学附属図書館所蔵
(市報なかつ令和3年11月1日号掲載)