市長コラム~つなぐ~ 親からの話

公開日 2022年03月09日

 今さらながら、両親が生きている間にいろんな話をもっと聞いておけばよかったと思います。親はどんな気持ちで、家族や子ども、そして社会に向き合っていたのでしょうか。
 私の両親は、昭和10年代に満州に渡り、日本に帰国したのが昭和30年、終戦から10年後なのです。私は昭和28年、旅大市生まれ、帰国時1歳3か月、姉は小学校6年生、兄が2年生でした。もちろん私に当時の記憶は何もありません。最も遅い方の満州からの引揚家族だったのでしょう。
 両親も、たまに中国での生活を話してくれました。多くの日本人は戦後直ぐに帰国できましたが、父は電気技術者として、戦後10年もの間、中国に留め置かれました。日本の工場の電気関係の仕事は、中国に引き継ぐのに時間を要したようです。次から次へと勤務地が変わり、一番遠くは発電事業のために揚子江をさかのぼり重慶まで船で移動したそうです。
 いつ帰れるともわからない不安の中の中国生活、技術者として大事にはされたそうですが、慣れぬ異国、産後間もない乳飲み子を抱え、転々と移動した父母の苦労は想像に難くありません。姉兄も言葉のわからぬ中国の学校に通うだけの毎日、さらに姉は私の子守役。帰国直前にははしかを患った私、父母や家族に命を守られました。中津に帰り着いた時の父母、迎える祖父母の安堵はどれほどのものだったでしょう。
 子どもを育てるには、その時代環境の中で、親の一途な思いがあったはずです。親は自ら苦労を語ろうとはしません。子どもの方が親に尋ねて、次の世代に伝えていくことは、生きた子育て・教育だと思います。皆さんの父母がまだお元気であれば、是非自分が子ども時代の親の思いや経験談を聞いておいてください。きっと次世代につなぐ「珠玉の言葉あり」です。

親からの話

(市報なかつ令和4年3月15日号掲載)

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