市長コラム~つなぐ~ 菅原道真と犬丸

公開日 2022年11月09日

 「学問の神様」として広く慕われている菅原道真公、中津市に縁があり、その足跡が残っていることはあまり知られていません。
 901年、右大臣から「大宰権師」に左遷された折、船が嵐に遭遇、豊前海の入り江に避難し、犬丸の江極岸に着船。菅公九州初上陸の地として石碑も建っています。菅公は犬丸での暮らしがとても気に入ったようです。旅の疲れを癒し和歌を詠むなど20日余りも逗留し、その後、再出立、九州の沿岸沿いに大宰府に向かいました。
 菅公は、2年後大宰府で亡くなります。京の都では、天変地異が多発、災いが続き、菅公の祟りだとされました。天皇は菅公の孫の菅原文時に命じ、九州犬丸の地に天満宮を創建、菅公を祀ったというのです。その後、江戸時代、中津藩主の、細川、小笠原、奥平氏は、犬丸天満宮を崇敬し、今でも当時の名残で、10月の御神幸祭には大名行列が出て神輿が巡行します。さらに、24年ごとに、木像菅公の御神像がお披露目される「御開帳大祭」が催されます。
 最近では、菅公が腰かけたという「止良石」はパワースポットとして訪ねられ、合格祈願者に人気があるそうです。また、3年前には、太宰府天満宮から、梅の木が贈られ、隣地に梅園も作られました。この度、地域の皆さんの熱心な取り組みにより、拝殿の改修が行われ、観光名所としても売り出しています。
 菅公は「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と失意のうちに都を去る。そして犬丸で「身のうさを よくもとどむる とら石の 名をきくさへも たのもしきかな」と励まされる。犬丸の地で元気を回復、感謝し船出する菅公、別れを惜しみ見送る人々、場面が目に浮かびます。犬丸地域の歴史のロマン、中津の持つ魅力の一つですね。

菅原道真と犬丸
菅公御着船旧蹟碑

(市報なかつ令和4年11月15日号掲載)

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