公開日 2023年01月25日
スポーツには名監督と呼ばれる人がいます。50年前、昭和47年の全国高校バレーボール選抜優勝大会で、教師の大木正彦さん率いる中津南高校が全国優勝を果たしました。前年末の中津商業高校の駅伝に続き、またもや中津の高校が日本一になる快挙、中津じゅうが喜びに沸き立ちました。地元新聞は「大分の魔女 名門校をほんろう 部員9人の小世帯 市民の声援で花開く」と大きく報じています。
当時の中津南高女子バレーボール部は、部員が大木先生の自宅に下宿、夫妻の熱意と愛情のもと、皆家族同然の「24時間チーム」。血の出るような猛練習に加え、試験前になると先生が勉強の特訓もするといった生活。学友や市民も応援しました。その後、先生は扇城高校(現東九州龍谷高校)に移り、高校三冠の全国制覇も成し遂げ、全国に名だたる常勝チームを育て上げました。
先生は若い頃、結核を患い肺活量は普通の人の7割だったそうですが、熱心で厳しい指導で有名でした。選手が書く練習ノートには大木語録がぎっしり記されています。一方、練習試合では、プレー中には一切注意を与えず、選手たちに考えさせるチーム作りです。プロ教師として人間心理を踏まえた教育を実践し指導、そこから「大木マジック」も生まれたのでしょう。
意外だったのは、初対面の席、バレーの話ではなく、若山牧水が耶馬渓を訪ね読んだ歌碑が、青の洞門対岸にあると教えてくれたこと。こんな多面性がありました。
先生は昨年、85歳の生涯を閉じました。南高優勝時の主将、高柳昌子(現姓吉田)さんは、高校時代の先生の魔法の言葉が、オリンピック出場、金メダル獲得を導き、社会に出て役立つ対応力を教えてくれたと感謝の弔辞を寄せました。中津で大活躍した勝負師にして名伯楽、ご冥福をお祈りします。
(市報なかつ令和5年2月1日号掲載)