わが市を語る(市政2022年8月号掲載)

公開日 2022年08月01日

(全国市長会の機関誌「市政」2022年8月号28・29ページ「わが市を語る4」に掲載)

福澤諭吉の故郷 「磁力」「魅力」のあるまち中津

不滅の福澤プロジェクト

 壱万円札に描かれている福澤諭吉の肖像は誰もが目にする身近な存在です。令和6年には渋沢栄一翁へ交代しますが、昭和59年から40年にわたって壱万円札の顔として親しまれてきた福澤諭吉の故郷が、大分県中津市です。
 大分県の北西端に位置する本市は、周防灘に注ぐ1級河川「山国川」を挟んで福岡県と隣接しており、河口付近には軍師・黒田官兵衛が築城した「中津城」の城下町が広がっています。江戸時代には「西の博多 東の中津」と言われるほど海運物流の拠点として栄えました。このような豊かな歴史を背景に、多くの偉人を輩出しており、その代表とも言える人物が「福澤諭吉」です。慶應義塾の創設者であり、幕末から明治にかけて活躍した啓蒙思想家ですが、故郷が中津であることを知る人は多くありません。
 そこで、福澤諭吉の故郷“中津”を全国に発信することで市民の郷土愛を醸成し、その教えを末永く後世に伝えるための「不滅の福澤プロジェクト」を本年から本格的に始動しました。慶應義塾、市民、市内関係団体、場所を問わずプロジェクトに共感し応援してくれる方々と力を合わせて、福澤諭吉の顕彰に力を入れて取り組みます。

先端産業が立地してきた「ものづくり」のまち

 明治維新後、中津では製糸・紡績工場が立地し近代的繊維工業が盛んになります。当時、福澤諭吉らも関わり中津に最初の製糸工場が設立されました。その後も中津では、鉄鋼業、窯業、半導体産業など、その時々の先端産業が立地・隆盛し、「ものづくり」のまちとして発展を遂げてきました。平成16年にはダイハツ車体中津工場(現在のダイハツ九州)が操業を開始し、隣県福岡にあるトヨタや日産関連の自動車部品企業も数多く立地するなど、カーアイランド九州の一大集積地を形成しています。
 地方都市に共通する人口移動の特徴として、進学や就職のタイミングとなる10代後半~20代前半の若者が都市部へ流出していく傾向があります。しかし、本市では、流出した分の人口を、その後の20代後半~30代にかけて、転入超過により取り戻しているという特徴があります。これは古くから根付いている「第二次産業」の分野や厚みが増し、雇用の場が創出されていることが大きな要因であると考えています。
 また、重要港湾である中津港は、完成自動車などの物流に加えて、クルーズ船も寄港しており、さらなる港湾整備と利用促進に努めていきます。

日本遺産「やばけい遊覧」のまち

 市内の山間には、国指定の名勝「耶馬渓」の美しい景観が広がっており、その中で紡がれてきた豊かな歴史と文化をつなぐストーリーは「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」として日本遺産に認定されています。代表的な景観に青の洞門・競秀峰があり、その川下には石造の8連アーチ橋「耶馬渓橋」が架かっています。美しい景観を川の対岸から眺めることができるようにと、大正12年に建設された国内最初期の観光道路施設です。現存する国内の石橋では最長で、本年、国の重要文化財に指定されることとなりました。ちなみに、国内3番目の長さの石橋「羅漢寺橋」、4番目の「馬溪橋」も本市内に現存する石造アーチ橋です。
 かつてはこれらの観光名所をつなぐように「耶馬渓鉄道」が走っていましたが、現在はその線路跡が全長約35キロメートルの「メイプル耶馬サイクリングロード」として生まれ変わっています。豊かな自然景観や歴史、食文化などを楽しみながら遊覧するサイクリングはおすすめのアクティビティです。
 また、耶馬溪ダムの湖面を利用した水上スポーツ施設「耶馬溪アクアパーク」があります。波が少ない国内有数の水上ゲレンデには、関東・福岡など各地から多くの大学生が合宿に訪れ、インカレや国際大会なども開催されています。もちろん、一般の方でも水上スキー、ウェイクボード、バナナボートなどを楽しむことができます。
 古くから耶馬渓の景観は多くの観光客の目を楽しませてきましたが、“見る”だけでなく“体験”という付加価値によって、さらに魅力を増し、今も多くの人を惹き付けています。
 福澤先生の教えを胸に、豊かな歴史文化、美しい自然景観や食文化などの「魅力」と、ものづくりをはじめとした産業の「磁力」で、多くの人を惹き付けるまちを目指します。

お問い合わせ

秘書広報課
住所:〒871-8501 大分県中津市豊田町14番地3
TEL:0979-62-9870
FAX:0979-24-7522