公開日 2025年01月22日
今から8年前、「福澤山脈の重鎮」の一人、朝吹英二の没後100年記念式典が地元の耶馬溪町で行われました。その時に朝吹家より中津市に寄贈された「朝吹英二君伝(大西理平著)」を改めて読みました。
朝吹は、1849年宮園村の生まれ、中津や日田で漢学を学び、大阪に出て福澤諭吉と出会います。攘夷派で福澤西洋思想に反感を抱き暗殺までも考えましたが、諭吉と接することで一転、師と仰ぎ仕えました。慶應義塾に入り福澤の出版を助ける。その後三菱を経て三井に移り、「三井の四天王」とも呼ばれた明治産業界の巨人、数々の功績を残します。
人となりは天真爛漫、豪放磊落、茫洋な人間味にあふれます。理屈のみで直進するタイプではなく、事の実現に責任をもってあたる並みはずれの人間的魅力を放つ、愛され型の豪傑です。いつまでも中津弁を話し、会う人を引き付け親しい関係を築き上げます。ところで朝吹の妻、澄は福澤の姉の子ですが、朝吹の力を高く評価する福澤は、二人の結婚を薦め、なかなか承諾しない姪を強く説得したそうです。
朝吹は村のため官有地を買い上げ寄付するなど故郷思いでした。地元の頌徳碑は、存命中本人が建立に同意せず没後建てられました。生家跡は家に向かう階段が残り、現在は公園です。毎年、宮園地区では3月12日に顕彰の生誕祭を催しています。
実業界での多忙な生活の後、晩年は茶人・歌人として静かに余生を送ったと言います。朝吹家の子孫の皆様は特に芸術文化に秀でた方が多い。ひ孫の朝吹亮二さんは慶應義塾大学のフランス文学者でしたし、その娘の朝吹真理子さんは芥川賞作家で活躍中です。朝吹家のルーツは耶馬溪、中津市もこのご縁を大切にします。
- 朝吹英二 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
(市報なかつ令和7年2月号掲載)
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