公開日 2025年03月17日
同年代の友人と子どもの頃のお風呂の話になりました。まず、農家ではお風呂が外湯、つまり別棟にあることが結構多かった。防火上、母屋から離していたのかもしれません。大半がいわゆる五右衛門風呂で、焚口で直接、鉄の風呂釜の水を温めます。湯ぶねに浮いた丸型木板を手足で上手くコントロールして釜底に沈め体育すわりをします。燃焼中に鉄むき出しの釜に体が触れると飛び上がりそうになるくらい熱く、子どもには楽しくも怖くもありました。
兼業農家の我が家、風呂焚きは子どもの仕事、燃料は薪です。マッチで紙や麦わらに火をつけ薪をくべていくのです。入浴中はお湯が冷めないよう熾火にし、湯加減により祖父母や両親が追い炊きをしてくれます。木の香りがお風呂内に立ち込め不思議にもお湯が柔らかいのです。「ぬるくないか」、「ちょうどいいよ」とかわす会話には自然体ながら家族愛のぬくもりが感じ取れます。
また昭和30年代は「もらい湯」がありました。近所の家のお風呂を借りるのです。翌日は逆にお貸しします。いわばお風呂のシェアですが、入浴後、お茶を飲み交わしながら一日の語らい・団らんの場となります。田植えなどと同じ共同の助け合いです。
家を離れて一人生活を始めると今度は銭湯でした。学生の多いまち京都、時間帯によっては湯ぶねは芋を洗うような混雑です。当時のヒット曲は「かぐや姫」の『神田川』。「洗い髪が芯まで冷えて」しまうまで外で待ってくれるような恋人はいませんでしたが、孤独感や切なさは歌と同じで青春時代の一コマです。
何とも懐かしい昔のお風呂事情、年齢がわかりますね。そうそう「もらい湯」の場合、お礼の言葉は食事と同じです。一日の仕事の疲れを癒し明日の元気につながるお風呂をいただき、「ごちそうさまでした」。
(市報なかつ令和7年4月号掲載)